新興国や異業種、M&Aも視野
「石油の世紀」に興隆した出光興産は次の100年で何を守り、どう変わろうとしているのか。中野和久社長はグローバル競争に「環境、技術で挑戦する」と強調。海外展開のなかでは「提携、合併もある」と語る。
――創業から100年をどう振り返る。
「戦前、大陸に渡った出光は戦争ですべてを失った。帰還後、石油に着目し今日がある。石油業はあくまで1つの手段だ。大事なのは事業を通じての人間の育成であり、この本質はこれからも全く変わらない。時代背景で色々な組織論が出てくるが、私は入社して40年間一貫して人を大事にしろと言われてきたし、私もそう言っている」
「日本も10年ごとに変わってきた。今は産業構造が変わり石油を大量に使う経済発展が問われている。護送船団のような石油産業、国内に縛られた成長はあり得ない。昨年策定の中期計画はエネルギーの確保と、環境対応の技術で素材産業として生き残ることに焦点を置いた」
――重点投資分野は。
「エネルギー、食糧、環境の3分野に投資する。エネルギーと石油化学の延長で省エネなどが有望。有機EL(エレクトロ・ルミネッセンス)はその1つだ。100年間に蓄積した技術、経験、ノウハウを生かせる分野から少しずつ変える。(畜産やバイオ、農薬など食糧関連を拡大中だが)かつては“飛び地”のレストラン、植物工場で失敗した」
――国内石油事業は縮小傾向。国内の雇用や海外事業をどうする。
「海外という言葉を使っているうちはダメだ。出光が社会に貢献するのは日本でも中国でもシンガポールでもいい。ただ、雇用維持は考える。ベトナムの製油所では200人の技術者が必要だ。国内では一つの製油所で約300人が働く。できるだけ60歳を過ぎても働き、技術承継をしてもらい、その間に若い人を育てる。一部は海外で働いてもらう」
――グローバル化で「店主」の理念はどうなる。
「理念の基本は変わらないが、常に表現法は変わる。社員に責任と裁量を与える『独立自治』も50年前とは求めることが違う。昔は店主の言葉をそのまま口にすれば良かった時代があった。今は、かみ砕かなければ若い社員に伝わらない。天坊昭彦社長(現会長)になり別の表現をしたり、今の世の中ではこういう意味だと説明したりしてきた。それを出光らしくないという人もいるが」
――上場から5年経過した効果は。
「上場は第一に資金調達手段の多様化をめざした。だが経営の透明性、効率性の面でも利点はあり、社員も『外向き』になった。心配した企業理念の維持もできている。ただマニュアル化の影響で、規定ばかり気にして自ら考えない社員が増えている。これは上から言い続けるしかない」
――石油業界で唯一再編を経験していない。これも出光流か。
「当社の“辞書”に無かった。これからの辞書にはある。国際化を進め事業を大きくし社会に貢献するため、提携、M&A(合併・買収)はありうる。需要が縮む国内で同業が一緒になっても意味がない。対象は石油事業が伸びる新興国や、異業種だ。事業を切り離しての合併、アグリバイオ事業の上場もありうる」
(おわり)
この企画は加藤貴行が担当しました。
【表】 出光興産の歴史
1911年 門司で出光商会(現出光興産)創業
45年 終戦に伴い海外店閉鎖、社員約800人引き揚げ
49年 石油元売りに指名
53年 イラン原油を輸入(日章丸事件)
57年 出光初の徳山製油所完成(75年までに千葉、兵庫、沖縄、北海道、愛知の各製油所も完成)
63年 資本金10億円に。石油連盟脱退(66年に復帰)
64年 出光石油化学設立
88年 豪州で炭鉱権益取得、自社権益石炭の輸入開始
92年 ノルウェー領北海で油田生産開始
2000年 上場準備本格化。資本金356億円に増資
03年 兵庫、沖縄の両製油所閉鎖
04年 三井化学とポリオレフィン事業統合。出光石化を合併
06年 三菱商事と液化石油ガス事業統合。東証1部上場
10年 三井化学と千葉地区エチレン事業統合
14年〓(予) ベトナムで製油所が操業開始
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