2013年1月31日木曜日

日本エアロフォージ社長佐藤光司さん――大型鍛造素材の新工場


 神戸製鋼所や日立金属などが出資する航空機部材メーカー、日本エアロフォージ(Jフォージ、岡山県倉敷市)が瀬戸内海に面する県営工業団地で建設中の新工場が4月に稼働する見通しだ。国内最大級の大型鍛造プレス機を備え、航空機の素材を製造。航空機産業の下支えを目指す。ボーイング787型機が高松空港に緊急着陸したトラブルなどで空の安全への関心も高まる中、どのような事業展開をするのか、佐藤光司社長に聞いた。
 ――どのような工場なのですか。
 「新工場には国内最大規模となる5万トン級の大型鍛造プレス機を設置し、航空機の機材に使うチタンやニッケルの大型鍛造部品の素材を製造する。エンジンのタービンディスクやランディングギア(脚部)、主翼と胴体をつなぐ骨組み部分などを手掛けていく」
 「現在、これほど大型のプレス機は国内にはない。航空機向け大型鍛造部品はフランスやロシアからプレス加工済みのチタン材を輸入して作っているが新工場の稼働で国産化が実現する。ものづくりの競争力を国内に持つことは非常に大切だ。新工場への投資額約200億円の一部については、国や自治体から補助金を受けている」
 ――建設工事の進捗状況は。
 「県営工業団地『玉島ハーバーアイランド』の敷地5万平方メートルで建設中の平屋建ての建屋(1万9000平方メートル)はほぼ完成した。昨年12月に設備部品の運び込みを終えており、3月中に組み立てを完了させる。4月には操業開始できるだろう」
 ――事業の見通しや課題は。
 「操業後は出資会社から受注した製品のサンプルを実際につくり、納入先から認定を受ける。国際規格など航空機部材に必要な品質認証を14年春にも取得したい。本格的な生産はその後になる。生産が軌道に乗る17年度に130億円の売上高を目指す」
 「航空機市場は今後、成長していく分野。各種部品についても長期的な需要が見込める。ただ安全に直結するだけに、極めて高い品質管理が求められる。大型プレス機が注目されがちだが、安定的な品質を維持するためには温度管理や搬送時間など周辺の製造プロセスも重要だ。こうした総合力を高めながら日本の航空機産業を下支えしたい」
 ――地域経済への波及効果も期待されています。
 「地元には(地場企業で構成する航空機部品関連の共同受注組織の)ウイングウィン岡山があり、情報交換などを通じて協力していく。地域全体で航空機分野の一翼を担えるようになれば、経済活性化につながると思う」
 「本社も昨夏に東京から倉敷に移転し、雇用面では地元から20人採用した。出資会社の現場で操作の実習してもらい、操業開始に備えている。今後も地元採用を続ける予定で、地場企業として世界に攻勢をかけていく」

中国人社長、旧三洋を鼓舞


 三洋電機が冷蔵庫・洗濯機事業を中国家電大手の海爾集団(ハイアール)に売却して1年余り。事業を継承したハイアールアジアインターナショナル社長の杜鏡国(49)は今年の元旦、こんな社員向けのメッセージをしたためた。「皆が一緒に過ごした初めての新年です。心の中で多くの感銘と感動が湧いています」
 旧三洋の「AQUA(アクア)」、ハイアールともにシェアが上昇し、2012年の売上高は483億円と目標をほぼ達成した。何より不安と悲哀に沈んでいた職場に活気が戻ってきた。「お金で企業や事業を買うのは簡単。大切なのは文化の融合だ」。この1年、心を砕いだことが想像以上に進み、結果に結びついた実感がある。
ハイアール副総裁を兼務
 杜は白物家電で世界シェア首位になったハイアール本社の副総裁を兼ねる。31歳でグループ販売責任者に抜てきされたエリートだ。02年に日本法人社長、07年には旧三洋との冷蔵庫開発合弁会社の社長も務めた。日本人妻を持ち、不自由なく日本語をあやつる。だが、ハイアールにとって、買収で進出先を開拓するのは初の経験。杜は事業を譲り受ける前から三洋社員の懐に飛び込んだ。
 「みなさんのいいところを伸ばしたい。ハイアール本社というより、みなさんのために私は頑張ります」。ハイアールアジア副社長の土屋秀昭(54)は、まだ三洋社員だった自分たちに、杜が日本語で語った言葉を鮮明に覚えている。11年10月、身売り確定の直後のことだ。アクアを販売するハイアールアクアセールス(大阪市)の商品統括部長、森田昌治(50)も「日本人を理解し、旧三洋が持っているものを生かそうとする意志を強く感じた」という。
 会社発足直後の昨年1月下旬には、アクアの新製品33機種が全国の量販店に並んだ。杜は前の年から移籍予定の三洋幹部と入念に準備した。あまりのスピードに戸惑う幹部たちに、「チャンスを逃すとやる気は落ちるし、シェアも挽回できない」と何度も奮起を促した。
 ハイアールアクア社長、中川喜之(50)は「日増しに不安が薄れ、杜さんと早く一緒に働きたいと思うようになった」と当時を振り返る。一方の杜は、建設中で暖房のない洗濯機開発拠点を視察したとき、コートを着込んだ技術者らが必死に働いている姿に感動した。「ハイアールは真の世界1位を目指している。日本でも首位になりましょう」。自然にこう語りかけていた。一体感は早い段階で芽生えていたのだ。
 日中のつなぎ役としての杜の原点は、開発合弁の社長時代にさかのぼる。ハイアールが6割を出資し、三洋からの出向組の警戒心は強かった。心を開いてもらうため、外資と仕事をして抱くであろう不安についてメモを作成。それを社員に見せ、解決策を一緒に考えた。
 もちろん杜が向き合うのは日本だけではない。中国の本社とも時に相対する。日本人から信任を得るためにも欠かせない。
 「きっと社員たちも安心します」。杜はハイアール最高経営責任者(CEO)の張瑞敏(64)にハイアールアジアの「名誉会長」への就任を要請した。「あなたがしっかり関与していると示せば、やる気も出るはずです」。熱意を感じた張は、初めてグループ会社の役職に就くことを快諾した。
「アクア」異例のCM採用
 杜の「前例破り」はこれだけではない。実はアクアの継承も異例だった。ハイアールはブランドの併存を認めてこなかった。スキャンダルでブランド価値が下がるリスクを排除するため、有名人を使うCMも禁じていた。それでも、アクアのPRに女優の小泉今日子を起用した。いずれも旧三洋社員の希望だった。杜は本社にいる白物家電の責任者が決断できないと見るや、張に直訴した。「どう説得したのか」。2週間ほどでCMの了解が出たときはみんな驚いたが、杜は平然としていたという。
 結果を出しながら、やるべきことを組織に伝えていくのが杜のスタイル。「ハイアールは変化と挑戦を評価する。でも言葉だけでは伝わらない。実例が必要なんです」。杜の率先垂範ぶりをみて、組織はますます活気づいた。例えば昨年11月に発売した大型冷蔵庫。扉にガラス素材を採用したデザインもさることながら、異例だったのは製品化決定からわずか4カ月で量産し、半年で店頭に並べるスピードだ。中川は「みんな新しいことに挑戦するようになり、意思決定が速くなった」と職場の変化を実感する。
 パナソニック傘下のときは製品開発が滞り、「負け組」とされた旧三洋の社員たち。考え方も表情も1年で見違えるほど変わった。国境と資本の論理を超えた相互理解が強さを生む。「成功したとはまだ言えない。やるべきことはまだまだありますよ」。中国人リーダーは戦う集団づくりにさらに磨きをかける

オーケーライフ社長浅見公香氏―「感じる音楽」起業し実現



 誰もが曲を奏で、耳を傾け、感激を伝え、共に楽しむ――オーケーライフ(東京・渋谷)が運営する音楽共有サイト「OK Music(オーケーミュージック)」は社長の浅見公香(48)が海外で触れた「体験する音楽」が原点だ。プログラマーとして米コダックやソニーで活躍した浅見が20年かかってたどりついた。世界一優秀と信じる日本の技術者と世界に通じるサービスに育てる。
 浅見が上智大学工学部の門をたたいたのは1983年。「理系の方が稼げるのでは、と深く考えずに」選んだ道だった。お金をためては海外に出た大学時代だったが、そのとき得た音楽体験が忘れられない。フィジーの海辺やケニアの街角では歌や踊りを披露しあう人や、拍手を送る人が集まり「誰もがアーティストでクリエーターだった」(浅見)。人間が紡いできた本来の音楽に触れた。
 一方、インターンで訪問した日本IBMでインターネットと出会う。大学での「ハンダごてで基板を作るハードウエアの研究よりおもしろい」と感じ、ソフトウエアやインターネットを職業にしたいと考えるようになる。だが当時コアの技術は米国内から出てこない。米国企業の募集を探していたところイーストマン・コダックが目に留まり、思い切って飛び込んだ。
 87年に入社したコダックは軍向けに蓄積したデジタル画像処理技術の民生転用を進めていた。デジタルカメラのセンサー開発を手掛けた浅見は、コダックが製造して米アップルが94年に発売したデジカメ「クイック・テイク」の開発チームにも加わった。
 仕事は順調だったが、結婚し娘が生まれると「普通の日本の女の子として育てたい」気持ちが強くなってきた。ちょうどパソコン「バイオ」のソフトウエア開発者を探していたソニーから声がかかり、97年にソニーに移った。
 「銀パソ」と呼ばれて人気を呼んだノートパソコンの開発を手掛けたが、「ナンバー1をとり、やることがなくなったと感じていた」(浅見)。2000年、ネットサービスの社内コンテストに応募し、グランプリを獲得。サービス提供直前まで約3年間開発に取り組んだまさにその時、ソニーは事業の売却を決めた。「会社のお金でやっていると嫌だと言えないことに気づいた」(浅見)。このとき初めて起業の意味を考えたという。
 社内の経営者育成コースにも通ったが、役員になりたくて仕事をしているわけではないと思い直す。06年にソニーを退社した後、あるパーティーで質問・回答サイトを運営するオウケイウェイヴ創業者の兼元謙任(46)と出会う。「会社は世の中をよくするためにある」というスピーチを聞いて感激した浅見は「一緒にやりたい」と事業計画を持ちかけ、出資を受けた。
 約3年の開発期間を経て11年9月に開設したオーケーミュージックは、ソニーで手掛けた楽曲配信ビジネスで感じた疑問もきっかけだ。現在の楽曲配信は「100円入れると1曲出てくる自動販売機」(浅見)。音楽はもっと感情的で芸術的。あらゆる人とつながるネットを使えばもっと生き生きとしたサービスが可能だと考えた。
 自演の楽曲を公開し、寄せられた感想を通じて交流を楽しむという新しいタイプのサービスは人気を集め、利用者数は月間12万人を超えている。
 既に米国向けにもスタートしており、今後世界各地に事業を広げていく。だが浅見は日本での開発にこだわる。世界最先端のIT開発現場を見てきた上で「日本のプログラマーが世界一優秀」だと確信しているからだ。「鉄鋼でも車でも日本の技術が世界で勝てなかったものはない」(浅見)。一緒に働く日本のプログラマーなら世界一のサービスを生み出せると信じて走り続ける。

名経営者に学ぶ仕事術(9)金川千尋氏(信越化学工業会長)の巻。



 M&A(企業の合併と買収)をうまく活用すれば、新市場開拓や新技術の取得といった事業展開を加速させられる。ただやり方を間違うと、買収した先が離反し、資金を浪費しただけといったことになりかねない。異なる企業同士を融合させ、信頼関係や相乗効果を築くのは一朝一夕にはできないものだ。
 私もかつて子会社の合弁化や株式譲渡を担当したことがある。株式の譲渡先企業のトップの考え方と、子会社の経営方針や風土とを摺り合わせるのに苦労した。ここで対応を誤ると、せっかくの有能な人材が退職したり、優良な取引先を失ったりすると考え、細心の注意を払った。
 塩化ビニール樹脂で世界首位を走る信越化学工業会長の金川千尋は、M&Aを会社の成長にうまく生かした名経営者のひとりだ。塩ビパイプ大手の米ロビンテックと合弁会社の米シンテックをつくり、その後、同社を完全子会社にして塩ビ製造で世界一の企業に育て上げた。シンテックは今も信越化学の大黒柱になっている。
 金川は東京大学を卒業後、極東物産(現三井物産)に入社。その後、信越化学に入り海外事業部で大活躍した。飛躍のきっかけになったのが、シンテックの設立だった。
 金川の側近だった信越化学元常務、金児昭の著書によると、金川はM&Aを行う際に「敵対的M&Aは絶対にやらない」と決めていた。経営不振に陥ったロビンテックの持ち分を買い取る交渉を進めているときにも、シンテックの取引先や従業員との信頼関係を築く努力を怠らなかった。取引先や銀行を訪問し、誠実に話し合い業務の継続を確認。従業員には「解雇は絶対しない」と強調した。
 金川のすごいところは、合弁解消の相手であるロビンテックからも厚い信頼を得ていたことだ。シンテックを完全子会社にしたころ、製品の販売に苦労した。ここで助け舟を出してくれたのが、ロビンテックのナンバー2だったエド・エルジンだった。このときの様子を「私の履歴書」で次のように語っている。
 「資本関係が切れてからもしばらくロビンテックはシンテックの大口顧客だったのである。エルジンさんのオフィスを訪ねて雑談していると、彼は最後に鉛筆をなめなめ、貨車で数十台分の塩化ビニールの大口注文をくれた。エルジンさんとは夫婦ぐるみで長いお付き合いになった」(06年5月22日付日本経済新聞)
 その後、金川はシンテックの社長となり同社の成長を加速させる。金児の著書によると、シンテックは07年12月期の予想段階で、従業員230人ながら230億円の純利益を上げる高収益企業になっていた。従業員のほとんどは工場で働き、営業担当はわずか8人。経理・財務担当者は2人で、金川の秘書を務める米国人女性が代金の回収業務を兼務するなど、徹底した合理化を進めた結果だった。
 企業の本当の強みは財務諸表だけでは見えないもの。事業の将来性、経営者と従業員の質、ブランド、特許、銀行を含む取引先との信用など、企業の経営資源は多岐にわたる。M&Aを手掛ける際には、経営資源のすべてを知り、それを失わないよう周到に手を打つ必要がある。金川がシンテックを順調に伸ばせたのも、同社の経営が安定するように買収前に環境を整えていたためだ。
 せっかくM&Aをしても、買収した企業の資源が減ってしまっては元も子もない。まずは友好的に取り組むことが何より重要だろう。

正論貫き、造り酒屋変革―枡一市村酒造場のセーラ・カミングス氏


 異端者のリーダーが「伝える力」を発揮し、組織を大きく変えることがある。枡一市村酒造場の代表、セーラ・マリ・カミングス(44)もそんな1人だ。1994年に長野県小布施町に移り住み、廃業しかかっていた造り酒屋を再生。どんな抵抗にあっても「正論」を説き続け、保守的な山あいの町を年間120万人が訪れる観光地に変えた。(1面参照)
 「マラソン大会は中止」。2010年、セーラが代表を兼務する企画会社に、町の医療部からこんな通達が届いた。毎年7月に開く「小布施見にマラソン」の応募者が8千人を上回る規模に拡大し、参加者が熱中症になるのを懸念した町がストップをかけた。
 セーラのもとで働いていた村石忍(39)は時期をずらすかどうか迷った。だが、セーラはよどみない日本語でいつもの言葉を繰り返した。「7月開催には意味があります。小布施や近隣の町の住民は農家が多い。田畑の仕事が忙しい春や秋は参加できないでしょう」
 小布施見にマラソンは「皆が楽しみながら町の経済を動かすイベントをつくろう」という趣旨で始めた。時期をずらせば地元の人たちは選手としてもスタッフとしても参加しにくくなる。目的をぼかしてはいけない。
 ではどうするか。村石が困った顔をしていると、「熱中症が起きない仕組みにしましょう。給水所を増やしましょう」。できない理由よりも、まずやれる手段を考えるのがセーラ流だ。町の会合に顔を出し、ひまわりのような笑顔で思いを語り、給水所設置のために必要なボランティアになってほしいと訴えた。結局、給水所は7割増の35カ所に増え、町の医療部も開催を認めた。
◆「ヒント与える先駆者」
 村石はセーラを「ヒントを与えてくれる先駆者」と形容する。セーラはまるで詩(うた)のようにやわらかな語り口で正論を何度も何度も繰り返す。そして実現のために自ら最初に動き、手本を見せる。その姿が村石のようなフォロワー(追随者)を生む。
 セーラのリーダーとしての基礎は枡一市村酒造場で築かれた。留学生として大阪に住んだセーラは一度米国に戻った後、長野で就職した。そのときの知人に造り酒屋を仕切っていた市村次夫(64)を紹介された。
 当時、市村は酒造場の将来像を描けずに迷っていた。二百数十年続く酒蔵ながら、売り上げの大半はビールなどの仕入れ品。「手を入れてダメならいっそ辞めるか」。そんな雰囲気を察したセーラは市村に意見した。「なぜここでしかできないこと、ここにしかないものを自らなくすのよ」
 セーラにとって造り酒屋は日本の貴い伝統だった。小布施の町に外国人を呼び込む力になる。「誰かが何とかしなければ」。これが正論を語り続けて人を動かすセーラ流の出発点になった。
 再建策の一環で浮上した酒蔵のレストランへの改装では「レトルトでごまかすのはおかしい」と指摘。厨房(ちゅうぼう)をしつらえ、内装にもこだわろうと、香港に住む米国人建築家のもとへ飛んだ。木おけで仕込む酒の復活も提案した。
◆よそ者の立場から意見
 保守的な造り酒屋で、何にでも口を出すセーラを良く思う人はあまりいなかった。しばらくは自分で提案し、作業も自分でこなした。「よそ者だから意見しやすいこともある。迎合する必要はない」。異文化の人間だという割り切りがセーラに正論を貫かせた。
 信念の強さに、頑固な職人たちも心を打たれた。最後に市村が「彼女に任せてみよう」と話し、セーラ主導の改革が本格始動する。木おけ仕込みの復活でセーラに最も協力したのは、若き日の経験を覚えていた大とうじの遠山隆吉(86)だ。やがて商品力が高まり、売上高に占める自社製品の比率は改革前の1割から8割に増えた。
 枡一市村酒造場から車を30分ほど走らせた集落。セーラは今、ここで農業・限界集落の再生事業に取り組んでいる。「ここに自然と共生するコミュニティーが復活します」。雪景色のなかにあったのは半壊した家屋だが、セーラには将来の姿が見えている。
 実際の修復作業をするのは建築やデザインを学ぶ若者たち。「農村風景、田園風景はここにしかないもの。だから守り育てていく」。セーラが示す夢と目的の実現を目指し全国から若者が集まってくる。セーラは「私が小布施にきてもうすぐ20年。次の20年につなげなければいけない」と話す。次の世代を育てるためにこれからも正論を説き続ける。

2013年1月30日水曜日

コマツ社長に大橋氏、「新興国で競争力」、付加価値高め業界けん引。


 コマツの野路国夫社長(66)と大橋徹二次期社長(取締役専務執行役員、58)は共同で29日、都内のホテルで記者会見した。主な一問一答は以下の通り。(30面参照)
 ――大橋氏を社長に選んだ理由は。
 野路氏「理由は2つある。1つは英語力が堪能で国際的なリーダーとして最適であること。今後、海外のパートナーから現地情報を収集し、最先端の技術を取り入れた製品を開発するビジネスモデルを築いていくためだ」
 「2つ目は現場の意見を聞く力に優れていること。会社の戦略や方針を立てていく上で、販売や生産まで幅広く経験して現場を知り、部下の意見を集めていく能力にたけている」
 ――コマツが現在直面している課題は何か。
 大橋氏「(中国など)新興国の景気は減速しているが、今年から来年にかけて回復の兆しが出てくるとみている。ただ、新興国の現地メーカーは急速に成長しており、低価格モデルで攻勢をかけている。当社は高価格でも情報通信技術などを使った付加価値のある製品を出し、先進国でも新興国でも業界のリーダーでありたい」
 ――中長期でどういった会社にしたいか。
 大橋氏「お客様や従業員、サプライヤーに対してなくてはならない会社でありたい。新興国メーカーが海外で様々なビジネスを展開している中で、当社は新しい製品群やビジネスモデルで業界を引っ張っていくことが責務だと考えている」
 ――この6年間、収益体質を強化してきた。
 野路氏「坂根前社長の時代から売上高を1兆円、2兆円と増やして拡大路線を進めてきた。原価改善など地道な活動を積み上げたことで、売上高が拡大しても固定費を増やさない体質にすることができた。円高でも12~14%の売上高営業利益率を達成している」
 大橋 徹二氏(おおはし・てつじ)77年(昭52年)東大工卒、小松製作所(現コマツ)入社。07年執行役員、09年取締役、12年専務執行役員。東京都出身。58歳。

ヤフー「驚き生み出せ」 宮坂社長、2ケタ成長に辛口評価


 ヤフーが29日発表した2012年10~12月期決算は、四半期としては4年半ぶりに売上高、営業利益、経常利益、純利益いずれも前年同期比で2ケタ増の好決算だった。昨年4月に最高経営責任者(CEO)、6月に社長に就任した宮坂学氏は「爆速」をキーワードに弱い事業からの撤退や他社との提携を矢継ぎ早に進めてきた。改革1年を間近に控えた自己評価は――。
 「うーん。面白いことが言えればいいですが。まあ、普通ぐらいになれたかなと。13~14秒ぐらいになれた」
 決算発表会見で「爆速を100メートル走にたとえると何秒台」と問われると、宮坂氏はこう自己評価した。ただ「前よりは速くなった。世界のベンチャー企業を見ても、すごい勢い、すごいリズム感で走っているのに比べたらまだまだ」と、世界レベルにはなお遠いとの反省ものぞかせた。
 既存事業の勢いは悪くない。4~12月期連結決算は売上高が前年同期比10.3%増の2450億1400万円、純利益が14.0%増の831億6900万円だった。
 最大の柱である広告関連事業の売上高は前年同期比6.6%増の1329億円。もう一つの柱であるeコマース(電子商取引)関連事業も1.5%増と伸び悩んだものの、成長分野であるゲーム分野でグリーと新規提携、ディー・エヌ・エー(DeNA)とも提携を拡大したりするなどぬかりはない。
 何が足りないのか。宮坂社長が最も歯がゆく思っているのが「(NHNジャパンの)『LINE(ライン)』のようなサービスが社内から出てきていない」ことだ。国内ネット企業では最大級の雇用や資金力を持ちながら、無料通話・チャットアプリで伏兵のNHNジャパン(東京・渋谷)に先を越された。
 「今年のキーワードは『!(びっくり)』の一文字です」――。1月7日の仕事始め。宮坂社長は社員にこう宣言した。「!」は創業以来「ヤフー!ジャパン」のロゴにも入っている。
 13年を「お客さんをいい意味でサプライズさせるサービスをつくることに挑戦する1年」にすると宮坂社長は言う。「結局、爆速とかチャレンジだとかいっても、びっくりするようなサービスがこの9カ月間で生まれていない」と明かす。
 宮坂体制になってから、ヤフーは大手企業との資本・業務提携などを次々とまとめあげ、派手なニュースを振りまいた。しかし「日本初とか世界初のサービスを生んでいないと」と同社長が振り返るように、今年は「実行」の二文字が重くのしかかる。
 びっくりするようなサービスとは何か。「スマートフォン(スマホ)・ファースト」を掲げてこの9カ月間改革を続けてきたヤフーだけに「スマホやタブレット(多機能携帯端末)の分野になる」(宮坂社長)と予測される。
 社内では、技術者などが腕試しをする場となる「ハックデー」や「ハッカソン」と呼ぶ開発コンテストを多く実施し、新規サービスにつながる芽をうまく見つけて、速く開発することを仕組みとして採り入れた。
 一方で、宮坂社長は「くだらないサービスをリリースしないことも大事。(試験版として市場投入する)ベータ版と不良品は違う」と語る。「爆速」の誘惑にかられて“スピード違反”をすれば、ブランド価値を損ねないとして、品質面の徹底に立ち返るという。
 買収で取り込んだ事業についても、考え方は一緒だ。例えば金融事業。サイバーエージェントから、1月31日付で外国為替証拠金取引(FX)子会社を買収する。同社長は、「インターネット屋がやる金融サービスを考える」と構想を明かす。
 1期目の最終コーナーにさしかかった宮坂社長。国内ネット業界の老舗にして最大企業が、世界水準のスピード感をつかめるかが勝負となる。

コマツ、ダントツ男の有終、坂根会長、6月相談役に、キャタピラー越え、後輩に託す。


 コマツは29日、4月に大橋徹二取締役専務執行役員が社長に昇格し、野路国夫社長が会長となる人事を発表した。次期経団連会長候補にも名前が挙がっていた坂根正弘会長は取締役相談役に就き、6月には取締役を退任する予定だ。坂根氏は2001年度に史上初の営業赤字に陥った同社の経営を引き受け、米キャタピラーに対抗する「世界のコマツ」をつくった立役者だ。論客としても定評があるが、とりあえず経営者としての幕を引くことになる。(関連記事29面に)
 「ダントツを目指せ」。坂根氏は社内の誰かれ構わず、今もこう発破をかける。「大事なことを繰り返しシンプルに発信し続けるのが経営者」というのが信条。「ダントツ」は自身が見つけ出した“社是”だ。
 坂根氏が社長に就任したのはコマツが大幅赤字に陥った01年度。関連会社売却や人員リストラに着手する一方、新たな仕掛けとして「ダントツ・プロジェクト」を推進。コマツの製品開発の在り方を抜本的に改め、今の会社の布石をつくった。
 商品開発の際に、従来製品から原価を10%下げる。一方で、浮いたコストで、「重要な性能で他社が数年かかっても追いつけない特徴を持たせる」(坂根氏)。成果の代表例は08年に業界に先駆けたハイブリッド建機だ。エンジンと電気モーターを組み合わせ燃費性能を高めた。「坂根路線」を引き継いだ野路社長が商品化を実現した。
 全地球測位システム(GPS)を使った機械の管理システムも率先して構築した。「ダントツ商品」から「ダントツサービス」へ。野路社長は「今は『ダントツ・ソリューション』の段階に入った」と話す。
 コマツが今、全力で取り組んでいるのは自動化機械「ICT(情報通信技術)建機」の開発だ。GPSやセンサーを利用し、現場の作業を自動化できる機械を開発することで、顧客の仕事の負荷を抜本的に軽くすることを見込む。
 坂根氏のもう1つの持論は「国内製造業はまだまだ戦える」というもの。コストを総原価でとらえず、不要な固定費を削減すれば、国内工場の競争力は海外と比べて決して低くないという考えだ。
 これは01年の事業再構築の際に、全社の固定費を削減するなかで得た実感に基づいている。実際、コマツの国内生産比率は55%に上るが、金融危機や東日本大震災の際、多くの企業が赤字に陥るなかで利益を出し続けた。国内製造業の空洞化が進むなかでも、坂根氏は他のメーカー関係者にエールを送り続けてきた。
 「電気自動車は完全に環境フリーではない。なぜなら電気を生み出す際に化石燃料を使うからだ」。昨年12月。都内で開かれたある環境イベントで、坂根氏は多くのEV関係者を前にしつつもこう喝破した。経営者としての実績に加え、歯に衣(きぬ)着せぬ言動を魅力とし、国内の講演会では引っ張りだこだ。
 坂根氏は10年から経団連副会長を務めている。来年交代を予定する米倉弘昌会長の後任候補として名前が挙がっていたが、経団連会長には現職の会長・社長が就任するのが通例。相談役に退く坂根氏の就任は、遠のいたようにみえる。
 ただ坂根氏は安倍政権肝煎りの産業競争力会議のメンバーにこのほど選出されたばかり。建機世界最大手のキャタピラーはコマツの売り上げ規模の2倍強。目標のキャタピラー越えは後輩に託し、坂根氏は論客として活躍の場が広がりそうだ。

GMに見るトップの資質――伝える力、明暗分ける

有限実行・ウィッテーカー氏 意識改革を最優先 任務終え潔く去る
美辞麗句・ワゴナー氏 雄弁だが実行力不足 抜本改革先送り
 米アップルの故スティーブ・ジョブズなど、米企業には優れた「伝える力」を持つ経営者が多い。一方、美辞麗句ばかりで実行を伴わない人物も少なくない。かつて世界で経営のお手本とされながら、2009年に経営破綻した米ゼネラル・モーターズ(GM)も経営者の資質に翻弄された1社だろう。2年弱で次々に交代した4人の経営者の言葉から、リーダーに必要な条件を探った。(1面参照)
  「(GMの経営危機の原因は)経営ミスではなく世界金融危機だ」リチャード・ワゴナー(59、CEO在任期間=00年6月~09年3月)
 08年のリーマン・ショック後に経営危機に陥ったGM。当時のCEOのワゴナーは、政府に救済を請う際、首都ワシントンに自家用ジェットで乗りつけ、平然と「経営ミス」を否定した。
 高額報酬などCEOの特権に比較的に寛容な米国でもさすがに怒りが噴出。次の公聴会からデトロイト―ワシントン間の800キロメートルを車で往復するはめになっただけでなく、GM救済に批判的な世論に火を付け、法的整理の流れを決定づけた。
 ワゴナーはハーバード大ビジネススクール出身。雄弁で理路整然とした語り口は説得力を持ち、株式アナリストや地元記者の人気は高かった。00年のCEO就任時に発表した「10年後のGMの姿」では「小型車を減らし大型車を増やす」と宣言。その言葉通り、GMの米国販売に占める大型車比率は、00年の49%から07年に61%に高まった。この時点では抜群の「伝える力」を示した。
 だが、ガソリン高を背景に消費者が低燃費な小型車を求め始めると事態は一変する。表面上は小型車シフトや人員削減を進めたが、「仲良しクラブ」と称された取締役会に危機感は薄く、抜本的な改革を先送りした。
 05~08年のGMの累計赤字は約8兆円。09年3月、ワゴナーは発足間もないオバマ政権にCEOの座を追われ、GMはその3カ月後に連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)を申請する。
  「同じことを繰り返しながら『変化』を期待する。アインシュタインはこれを狂気と呼んだ」フレデリック・ヘンダーソン(54、09年3月~09年12月)
 ワゴナーの解任を受け登板したのはナンバー2だったヘンダーソン。雄弁で華のある前任者に対し、有能な実務家タイプだった。法的整理を経て「新生GM」が発足した09年7月の会見で、アインシュタインの言葉を引用し、変革への決意を打ち出した。
 過剰設備の削減やブランドの再編、販売網のスリム化など再建に必要なリストラを進めたが、就任からわずか半年で突然、取締役会から退任を迫られる。当時、言われたのは「企業体質の変革」という最も重要なタスクへの切り込み不足だ。
 社内力学が優先し失敗のリスクより問題先送りを選んでしまう。ヘンダーソンは言葉では「官僚体質の打破」など変化を訴えたが、実行力が足りなければ思いは組織に伝わらない。これは前任者と共通する点だろう。
  「普通の企業に2度目のチャンスはない。再度チャンスをもらった以上、GMは必ず再建を成し遂げなければならない」エドワード・ウィッテーカー(71、09年12月~10年9月)
 続いて就任したウィッテーカーについても、当初手腕を不安視する声があった。元AT&T会長で、総額25兆円の相次ぐ買収により地域の弱小通信会社を世界最大にした実績を持つが、自動車業界は門外漢だったためだ。だが、GM社員はすぐに、彼が有言実行の人であることを痛感する。
 「最優先するのはヒトの意識改革だ」。就任と同時に、ヘンダーソンができなかった企業体質の改革に着手すると宣言。幹部には「12週間で結果を出せなければ(会社を)去ってもらう」と通告した。最高財務責任者を含め、経営幹部の大半が入れ替わった。
 当時、あるGM幹部は「明らかに会社の空気が変わった」と語った。巨大組織にトップの強烈な意志が浸透。これがGM再生の原動力のひとつになった。だが、ウィッテーカーはGMの株式市場への再上場にメドを付けた10年9月にあっさりと退任する。引き際でも有言実行ぶりを示した。
  「(ビジネスは)現代の戦争だ。勝たねばならない」ダニエル・アカーソン(64、10年9月~現任)
 わずかな期間で4人目のCEOとなったのは、海軍士官学校卒という異色の経歴を持つアカーソン。通信会社やIT企業の経営トップを歴任、03年以降は米投資会社カーライル・グループで企業買収を統括した。言葉数は少ないが、周囲は「目標を立ててそれを完遂することに関しては妥協がない。そこは海軍式だ」と話す。能弁な経営者が多い米国では珍しい不言実行タイプといえる。
 GMは6月で経営破綻から丸4年。08年に309億ドルの赤字だった北米事業は、11年に76億ドルの黒字に転換した。ただ不振の欧州のてこ入れなど課題も多い。再建の総仕上げへ真価が問われる。

2013年1月29日火曜日

浜ホト、価格6分の1、静電気除去機、X線型を量産。

浜松ホトニクスは液晶や半導体の生産工程で発生する静電気を除去する装置「フォトイオンバー」を開発した。微弱なエックス線を対象物に照射し「光電離」という作用で瞬時に除去する仕組み。従来製品より設計などを大幅に見直し、価格を一般に普及しているコロナ放電を活用した装置と同等にした。
 エックス線照射方式の装置は頑強な遮蔽構造が必要で、量産が難しかった。さらに環境負荷物質のベリリウムも使用しており、使い勝手が悪かった。今回、同社はエックス線管の電圧を半分に抑えることに成功し、厚さ3ミリ程度のアクリル板で完全に遮蔽できるようにした。量産が可能になり、価格は6分の1に低減。ベリリウムも他の材料に置き換えた。
 コロナ放電に比べて狭い設置スペースで確実に静電気を除去できるほか、メンテナンスもしやすいという。コロナ放電からの置き換え需要が期待できるとみて、今月末から液晶製造装置メーカーなど向けにサンプル品の出荷を始める。
 価格は1ユニット10万5千円で、10ユニットまで連結して使用できる。

電波通す遮熱フィルム、コニカミノルタ系、赤外線9割カット。

 コニカミノルタホールディングス傘下で機能性フィルムなどを手がけるコニカミノルタアドバンストレイヤー(AL、東京都日野市、白木善紹社長)は金属を含まない薄膜を使い、赤外線や紫外線を90%以上カットする遮熱フィルムを開発した。窓ガラスに張ると携帯電話などの電波を妨害せずに日差しを遮ることができる。まず自動車向けに実用化し、2013年春に海外で発売する。
 開発した「ICE・μ」は厚さ約50マイクロ(マイクロは100万分の1)メートルの樹脂フィルムに、光の屈折率が異なる厚さ数ナノ(ナノは10億分の1)メートルの透明な膜を複数重ねた。一般の可視光線を70%以上透過させつつ、熱の原因となる赤外線を約95%反射し、日焼けの原因となる紫外線の大半を減衰させる。反射膜は金属類を一切含まない。
 一般の遮熱フィルムは反射層に金属を含むため、自動車の窓ガラスなどに張ると車内で使う携帯電話などの電波も妨害してしまう課題があった。赤外線の反射率を高めるには金属の比率を増やす必要があるが、可視光線の透過率も下がってしまい、夜間などに視界を妨げる問題もあった。
 新製品は反射膜に金属を含まないため電波を妨害しない。異なる屈折率の層の組み合わせで特定の波長の光だけを反射するので、赤外線の反射率を高めても可視光線の7割程度を透過でき視界を妨げない。コニカミノルタが手掛けていた写真フィルムの生産技術を応用でき、安価に大量生産できるという。
 まず自動車の窓ガラスに使う遮熱フィルムで実用化する。携帯電話などの通信を妨害しない利点を強調し、中国などアジアの新興国で販売を始める考え。日本や米国などの先進国では、利用者がフロント、サイドのガラスに遮熱フィルムを張ること自体が違法となるケースがあるため、まず自動車メーカーに安全性の検証を働きかける。
 コニカミノルタALでは、世界の遮熱フィルムの市場規模が11年の2500億円から20年に3800億円に拡大するとみている。アジアを皮切りに将来は他の新興国や先進国などにも販路を広げるほか、住宅やビルなどの窓ガラス向けなどへの応用を目指す。

日本交通社長川鍋一朗さん――移動+αで顧客つくる



総合サービス業に進化
 スマートフォン(スマホ)の配車アプリ、子供の送迎タクシー――。タクシー大手の日本交通(東京・北)が次々と新サービスを打ち出している。法人需要が減少するなか、川鍋一朗社長は「タクシーは拾う時代から選ぶ時代」と見定め、マーケティングとIT(情報技術)の活用による顧客創造にまい進する。目指すのはタクシーの、運送業から総合サービス業への進化だ。(聞き手は日経MJ編集長 三宅耕二)
ITをテコに
マーケティング
 ――2年前、スマホのアプリを使う配車を始めました。
 「全国の約70社と提携し、1万6000台での利用が可能です。スマホでの配車は累計10万台を超え、全体の10%に達しました。利用者は雨の日に電話が混んでいる時も注文しやすく、会社側はオペレーターを介さずに受注できるので配車業務が効率化できます」
 「1万6000台の全国ネットワークは大きな力です。やる気のある会社がいざという時団結すれば、業界全体を動かしやすくなります。将来、M&A(合併・買収)の相手探しにもネットワークが役立つでしょう」
 ――コンサルティング会社から老舗タクシー会社トップへの転身です。
 「父から3代目社長を継いで8年になります。当時から『タクシーを拾う時代から選ぶ時代にしたい』と言い続けてきましたが、今は一歩進めて『ITとマーケティングでタクシー業界をリードする』と社員に説いています。従来、この業界にはマーケティングが欠けていました。ITはこうした思考を導入するテコになります」
 ――タクシー会社の経営にマーケティングをどう生かすのでしょう。
 「タクシー業界は客を『つくる』努力を怠ってきました。A地点からB地点に移動する客を乗せるだけ。バブル崩壊でそうした客が減ると行政が悪い、規制が悪いとなる。輸送人員を増やすには、タクシーを使っていない人に使ってもらうよう考えねばなりません」
 「若者を中心に車を持つ人は減っています。公共交通機関は容易に増えません。これに少子高齢化も考え合わせた結果、子供だけ運ぶ『キッズタクシー』や介助付き『ケアタクシー』のアイデアが生まれました。他人に任せず自ら子供を送迎する親や、高齢の親を介助する子供がいます。これを代替すれば新たなタクシー需要が生まれます」
観光タクシー
需要増を期待
 ――それぞれ成果は出ていますか。
 「開始から2年たち手応えを感じます。まずヒットしたのがキッズで利用者は月300件。2年前に27人だった専門運転手は63人に増えました。やる気がある人を面接して、スマホが使えるようにしています。救命救急の資格を取る研修も施します」
 ――資格や研修で運転手の負担が増えます。やる気をどう高めますか。
 「キッズタクシーは1時間当たり4550円。距離ではなく時間制の料金で、認可も受けています。朝の時間帯は『流し』でも売り上げが5500円になりますが、午後は2000円台に下がります。そこで4550円は『おいしい』。平均単価も流しより高くなります。これなら運転手もやる気が出ます」
 ――昨年には観光タクシーを始めました。
 「例えば高齢になると観光バスの団体ツアーについていくのが難しくなる。トイレが近くなったり歩くのが大変になったりするからです。そこで見えてきたのが『車から降りずに観光したい』というニーズ。これをつかめばタクシーに客を呼べると考えています」
 「東京スカイツリーの開業なども追い風で、東京駅や羽田空港からの利用があります。観光タクシーは多くの利用者が価値を認め、3時間で約1万4000円かかるのにチップをくれる人もいます。つたないガイドでも一生懸命やれば感謝されます。いずれ利用者が一気に増えるでしょう」
 ――タクシーは総合サービス業になりますか。
 「お客を運ぶ運送業の側面は残りますが、サービス的な要素がないとお客は鉄道やバスよりも高い料金を支払ってくれないでしょう。インフラをシェアする公共交通機関には価格で勝てません」
 「運転手がサービスをすることでタクシーは付加価値をつけられます。これがバスや鉄道と違う『移動+α』です。そこに活路を見いだせば、輸送人員が右肩下がりの時代にあっても客を増やせると信じています」
 ――高付加価値はデフレに逆行しませんか。
 「料金にはメリハリをつけられます。たとえばタクシーはメーターの構造上、距離によって料金が上がりますが、利用頻度などに応じた割引もできるのでは。日曜日の午後を安くしたり、逆に利用が多い雨の日に高くしたりと、需給に応じた料金設定も考えています」
 ――5年後の会社をどうイメージしますか。
 「横浜の会社などを買収しましたが、買収対象を東京から通勤圏内まで広げて検討しています。タクシー会社は全国で6000社以上。もっと集約する必要があります。売り上げは常に前年比プラスが目標。顧客をつくることができれば、必ず成長できるはずです」
業績データから
需要回復で増収基調
 日本交通の2012年5月期の連結売上高は前期比1・5%増の416億円と4期ぶりの増収となった。13年5月期も数%増を見込む。リーマン・ショック以降、落ち込んでいた需要の回復が下支えした。ただ、川鍋社長は利益率にこだわりをみせる。タクシー業界の売上高経常利益率は平均3%とされるが、「最低でも5%を維持したい」と話す。
 スマホの配車アプリ導入などで業務の効率化を進める一方、「キッズタクシー」など新規事業を軌道に乗せて収益性を高める考えだ。タクシーの供給過剰を解消するため減車や休車を促す特別措置法の施行から3年余り。1台当たり売上高の下落には歯止めがかかっているが、市場全体として厳しい状況は変わらない。新たな需要を掘り起こす「総合サービス業」への進化の歩みを緩めるわけにはいかない。

米空調大手グッドマンCEOに聞く、省エネ技術取り込む、ダイキンの現地展開後押し。

 ダイキン工業による米空調大手、グッドマン・グローバル(テキサス州)の買収が昨秋に完了した。米国は世界最大の空調市場だが、上位6社で9割以上のシェアを占める。外資系企業にとって参入障壁が極めて高い特殊な市場で、両社はどう連携するのか。米ヒューストンの本社でグッドマンのデービッド・スウィフト最高経営責任者(CEO)に聞いた。
 ――今回の買収はどんな意味を持つのか。
 「ひとことで言えば補完関係だ。グッドマンは全米に900カ所以上の物流拠点があり、6万店以上のディーラー(販売代理店・据え付け業者)網を持っている。ダイキンは米国で最も広大な販売網を活用できるようになる」
 「生産性の高さも当社の強みだ。コスト意識は創業者から受け継いだカルチャーで、生産だけなくあらゆる面で発揮している。組織もフラットで、意思決定のスピードも速い。私の直属の部下は10人程度しかいない」
 ――グッドマンにとっての利点は。
 「我々の弱みは技術だ。もともと空調の据え付け事業から出発した当社には、空調機器の効率を高めるといった技術がやや乏しい。米国では電気代の47%を空調のコストが占めるといわれており、空調機器のエネルギー効率に関心が集まっている。ダイキンが持つインバーターなどの省エネ技術を取り込みたい」
 「家庭用エアコンが主力の当社にとって、ダイキンが扱う商業向けの空調機器も魅力だ。製品の品ぞろえが広がり、多様な顧客を開拓できる。ダイキンが事業を展開する国際的な流通網を活用すれば、当社の製品を北米以外にも販売していけるようになるだろう」
 ――今後の協業の具体的な進め方は。
 「まずはダイキンが得意とするダクト(配管)を使わないエアコンを、当社のヒューストン工場で生産する。この生産を通じて高い技術を取り込み、雇用も増やせる。調達でも、低コスト生産に強みを持つ我々のノウハウが生かせる。両社の調達を一本化するなどして、世界全体で調達コストを引き下げていく」
 ――米国の空調市場の見通しは。
 「住宅市況が底を打ちつつあり、新築住宅向けの販売はこのところ上向いている。また、更新需要も2013年は回復するとみる。消費者のマインドなど不確実な面はあるが、業界全体の出荷台数は伸びるだろう」
 ――買収に従業員などの不安はなかったのか。
 「ダイキンは北米ではそれほど存在感が大きかったわけではなく、従業員もむしろこの買収を通じて当社の果たす役割が大きいと感じただろう。むしろ、同じ米国のキヤリアなどに買収された方が、雇用などの不安が生じたかもしれない」
 「ダイキンは空調事業で世界最大手だが、空調発祥の地であり、最大市場でもある米国での成功は欠かせない要素だ。我々はダイキンを真の偉大なグローバル企業につくり直すのに貢献したい」

欧ヘッドハンティング大手に聞く、外部人材、中韓は積極活用、日本、閉鎖性など課題。



 アジアの経済成長を受けて、現地での幹部人材の需要が急拡大している。欧州のヘッドハンティング大手、AIMSインターナショナルはアジア諸国で事業展開し、現地での経営幹部の紹介に注力している。2011年には日本へも進出した。アジアの人材動向について、同社のロルフ・ヘーブ会長に聞いた。
 ――世界のヘッドハンティング需要は。
 「直近のピークだったリーマン・ショック前の水準から9割台に戻ってきている。需要の伸びが大きいのは主に成長著しいアジア圏での経営層の求人だ。これまで主力だった欧米系の金融機関の動きは欧州債務危機の影響が残っているためか、弱い。当社グループが大きく期待するのは日系企業のグローバル化に伴う海外進出先での人材獲得需要だ」
 「経済のグローバル化で国境を越えた人材紹介が一般的になった。ある新サービスや新商品を世界同時に投入するには、複数の優秀な経営人材を確保する必要がある。人材会社も企業の要望に対し、世界規模でどれだけ対応できるかが問われるようになっている」
 ――どんな人材が求められているのか。
 「やはり専門性の高い人材だ。知的財産、法務分野がわかる管理職などはニーズが強い。特に海外拠点の立ち上げに関わった経験がある即戦力の人材が求められている」
 ――アジアで人材獲得に積極的な企業は。
 「大手自動車会社などの世界企業のほか、グローバルに事業を展開しようとする中小企業からの案件も増えている。海外展開にあたり、現地法人の社長となる人材を紹介したケースがあった。業界別では製造業に限らず、住宅メーカーや化粧品会社など多岐にわたっている」
 「中国や韓国企業の利用も活発だ。中韓企業は進出先の環境に日本企業よりもずっと早く適応して、高い競争力を発揮している。経営層に自国民以外の人材を充てることに積極的なことがその理由の1つではないか」
 ――日系企業の課題は。
 「現地トップなどに外国人の起用をためらわない中韓企業に対し、日系企業ではヘッドハンティングの活用は中間管理職の獲得にとどまる。現地法人のトップには現地事情に疎い日本人が本社から送りこまれるケースがほとんど。人事や現地企業との交流で閉鎖的になりやすい傾向がある。高い教育水準とビジネスセンスがあるのが日本人の強み。現地の事情に精通した人材をさらに増やすことができれば、より早い事業拡大が期待できると見ている」
(聞き手は古川慶一)
 AIMSインターナショナル オーストリアに本社を置くヘッドハンティング大手。1992年設立で欧州や北米を中心に世界50カ国・90カ所に拠点展開する。売上高は104億円(2011年)でヘッドハンター数は約350人(同)。最近はアジア戦略を重視し、日本にも11年に拠点を設立した。

HIS、世界で攻勢――平林社長インタビュー、南米の旅行市場に商機、中東にも注目。


 エイチ・アイ・エス(HIS)の平林朗社長はアジアとともに南米市場の開拓も強化する考えを明らかにした。主なやり取りは以下の通り。
 ――アジア以外での展開は。
 「南米も同じ状況で力を入れている。南米は日系人が多い上に、富裕層も多いのでアジアよりも成長する可能性がある。中東も有望市場だ。中東の人々は旅行先として欧米を避ける傾向にある。中東域内の旅行だけでなく、マレーシアやタイ、シンガポールといった旅行を提案すれば可能性がある。3年後には海外での事業規模が日本を逆転するようにさせたい」
 「もちろん、世界的な知名度を得るには欧米市場も開拓しなければならない。この市場に入るためにはM&A(合併・買収)も活用する。今でもM&Aの資金的余裕があるが、シナジーが出るような体力がついてからだ。そのためにも欧米旅行が人気の南米市場を開拓することがまず重要だ」
 ――グローバル化を進める上では海外に通用する人材が必要となる。社内での英語公用語化などは検討しないのか。
 「英語公用語化はデメリットも多い。たとえば、京都の風情を伝える旅行商品をつくる際に、英語で会議したら、日本的な情緒を伝えるものができない。インドでもタイでも同様で、その地域の文化にあった商品が必要。グローバリゼーションよりもローカライゼーションの方が大切だ。その点では、英語よりも現地の言語を習得した方が良い」
 ――日本事業はどう位置付ける。
 「まだまだ成長できる。シニア層の旅行需要があるからだ。格安航空券のHIS、学生の味方のHIS、海外旅行のHISという形で成長してきたが、コアコンピタンス(得意分野)は個人旅行だ。団体旅行を得意とする他の日本の旅行会社とそこが異なる」
 「今のシニア層は町内会旅行のような団体旅行よりも個人旅行を好むため、HISの強みが発揮できる。確かに昔はかゆいところに手が届くようなサービスは上手ではなかったが、そこは改善できている」

提案型営業で市場開拓、前田建設・小原社長に聞く、請負業から挑戦

洋上風力建設 インフラ整備
 準大手ゼネコン(総合建設会社)のハザマと安藤建設が合併を決めるなど建設業界で再編の動きが広がっている。中長期的に国内建設市場の縮小が避けられないと判断、2社が手を組むことで苦境脱出を狙う。一方、同じく準大手の前田建設工業は発電事業への参入などこれまで建設業界が力を入れてこなかった分野を自力で開拓、生き残りの道を模索し始めた。勝算はあるのか。前田建設工業の小原好一社長に聞いた。
 ――大和ハウス工業がフジタを完全子会社化、4月にはハザマと安藤建設が合併する。
 「国内の建設投資は現在40兆円程度。市場規模は90年代のピークからほぼ半減とゼネコンの経営環境は厳しい。再編の動きはこれに対応したものだが、今後、業界内で合従連衡がさらに進むとは考えにくい。(相互補完関係にあるゼネコン同士の組み合わせは少なく)無理に合併しても統合効果が小さいため、各社は人員を削減して売り上げ規模にあわせた経営を選ぶだろう」
 「市場が縮小するなかゼネコンに残された道はもう1つある。顧客にこちらから新たな提案をし、これまでにはない市場を生み出す道だ。当社は新しい事業や技術で、より良い街づくりや安全・安心な生活を提供していく。しかし、請負業が中心だったゼネコンにとっては未知の挑戦であり、当然リスクも負うことになる」
 ――具体的には何を提案していく。
 「洋上風力発電設備の建設と運営などはその1つ。現在、事業を計画中で2016年には稼働する予定だ。事業全体で年間35億円程度の売電収入を見込めるうえ、発電機の設置技術や運用経験を磨き洋上風力の建設を提案するなど事業領域を拡大できると判断している」
 「水力発電所の改修ビジネスも有望だ。劣化した機器の交換や水を落とす構造の改良工事などの需要を掘り起こす。高い技術を持つ当社ならではのビジネスが展開できるはずだ」
 ――社会インフラの整備や補修も新たな市場として期待できる。
 「国内建設投資のうち現在15兆円程度が公的な投資だ。震災復興などを除いてこの水準はしばらく維持されていくと考えるが(新しいインフラをつくり続け、維持補修費が増えなければ)2030年以降、老朽化する公共インフラを維持できなくなるという試算もある。これからは社会資本の整備や補修に民間の資金や人材を活用していくことになるのは間違いない」
 「ただ、今のところ国や自治体が民間企業などに維持・運営を委ねる動きは乏しい。投資に見合う利益が望めないなど魅力的な案件が少ないためだ。多くの企業が参入しやすい枠組みづくりが求められる」
 ――先進的な取り組みには社員の意識改革が重要だ。
 「この数年間、全社員に危機感や挑戦への意識を共有することを促している。その結果、現場や支店から様々なアイデアが出るようになった。こういった攻めの姿勢は新規事業だけでなく、海外事業でも成果が出始めている。中国やベトナムでは現地の不動産会社や建設会社と業務提携し、事業の一層の現地化を急いでいる」
記者の目
厳しい経営環境
改革に向け一歩
 建設市場の縮小で、受注競争が激化、建設業の利益率は年々低下してきている。日本建設業連合会によると大手建設会社の売上高営業利益率は2005年度の3%から11年度には1・5%にまで半減した。将来的にこれが大きく改善することは期待できない。
 こうした経営環境下では旧態依然の営業攻勢でじり貧の市場にしがみつくより、むしろ経営のスタイルを変えることだ。「入札の機会も減りうまみが少ない」とされてきた再編の選択肢も排除すべきではなく、前田建設工業のように新たな事業領域を開拓する取り組みも大切。まずは一歩、改革に向け前に出ることだ。

工作機械市況、牧野フライス社長に聞く、年半ば、中国緩やか回復。

海外拠点の強化課題
 牧野フライス製作所は金属の塊を削る工作機械の「マシニングセンター」を主力に、高精度な加工機械を手がける。国内市場の縮小、アジアの工作機械メーカーの台頭など外部環境が厳しさを増すなか、2013年はどのように事業を伸ばすのか。就任28年目の牧野二郎社長に、市況の見通しや自社の戦略を聞いた。
 ――12年は業界全体の受注額で11年比1割近い減少と厳しい年だった。
 「想像以上に(市況が)悪かった。特に中国の落ち込みが響いた。電子機器の受託製造サービス(EMS)からの特別な受注はあったが、産業機械向けなどが振るわず、12年10月が最も低調だった。現地自動車メーカーの投資も冷え込んだ」
 「一方でメキシコやカナダなど北米は自動車やエネルギー関連など、想定以上に(引き合いが)良かった。13年も、年初は北米市場がけん引するだろう。年半ばには中国市場も回復し、潮目が変わるのではないか。ただし中国は11年のような急成長ではなく、緩やかな成長になるとみている。今年は東南アジアにも販売拠点や製品の機能などを体験できるテクニカルセンタを新設して売り込みを図る」
 ――国内市場は縮小が続いている。
 「国内製造業が生産拠点を海外に移転する動きは続く。足元は円安傾向にあるが、多少円安に振れたところで、この傾向は変わらない。工作機械を使う生産工程は人材育成に時間がかかるため、顧客企業は長期的視点で生産拠点の場所を判断しているようだ」
 「国内中堅・中小企業のなかには、独自の加工技術や製品を開発して新たな設備投資に動く企業も出てきた。大型投資は見込みにくいが、国内市場も緩やかに回復するだろう」
 ――航空機向けは期待される市場のひとつだ。
 「当社は30年近くも前から航空機向けの加工機械を研究しており、ようやく刈り入れ期に入った。工作機械は新たな市場を開拓しようとしても当初はもうからない。長い年月をかけて技術を磨いたり市場を開拓したりする必要がある」
 ――アジア工作機械メーカーの台頭が脅威だ。
 「中国は国を挙げて工作機械産業を育成している。侮りがたい相手だが、まだ技術的に日本勢が劣るという段階ではない」
 「それでも、中国に限らず海外の工作機械メーカーとの競争は以前より厳しくなるだろう。海外の生産拠点でも日本の工作機械を積極的に採用していた日系自動車メーカーからも『現地の工作機械も使う』と言われている」
 ――工作機械メーカーもいよいよ、海外生産の動きが加速している。
 「海外拠点の機能強化は課題の1つだ。中国は生産拠点内に人材育成の施設があるが、これを外部に出して数年後にはそこへ新たな生産ラインを入れることも検討したい。30年近く前から持っているシンガポールの拠点も機能強化を計画している」
 「難しい技術要素が多い工作機械は国内の生産拠点も重要だ。12年12月には神奈川県内で工作機械の主要部品を作る工場の建築に着手した。新工場ではロボットも積極導入して自動化を進め、国内生産でも競争力のある生産ラインにする」
記者の目
投資減税追い風
提案力に磨きを
 世界的にみて、品質、性能の高さが売りの日本の工作機械。その中でも高い品質で知られるのが牧野フライス製作所だ。安価な汎用品とは一線を画し、高い価格設定でも性能や信頼性などで顧客の支持を得てきた。
 2012年は国内大手の工作機械メーカーが売り上げを軒並み1割以上を落とすなか、牧野フライスは4・5%減にとどめた。世界大手の電子機器の受託製造サービス(EMS)や航空機関連メーカーなど新規分野の顧客にも、製品価値が認められた結果だ。
 同社は今後も過度な価格競争とは一線を引き、「高品質で勝負する」戦略だ。ただ、高い技術力も、いずれは追いつかれる時がくる。アジアで勝負するためには、ブランドや技術力を維持しつつ、手が届く価格設定や、提案力、サービス体制を強化することも必要だ。
 先ごろ決まった税制改正大綱には設備投資減税も盛り込まれた。これを追い風に、いかに新味がある提案ができるかも試されている。

ブランド死守したネスレ――原則貫くグローバル経営を



 サントリーホールディングス(HD)は中核会社のサントリー食品インターナショナルを、年内にも上場させる。狙いは世界市場で成長するための資金調達。そんなサントリーHDが、グローバル企業へ脱皮するための指標としているのがネスレだ。
 ネスレは世界140カ国以上で事業を展開し、年間売上高は7兆円を超える。歴史を感じさせるエピソードも多い。スイス本社の経営会議には、紀元1000年から2012年までの国別の国内総生産(GDP)の表が出てくる。
 ネスレの日本進出は今年でちょうど100年。インドや中国もほぼ1世紀だ。日本法人のネスレ日本(神戸市)には労働組合もあり、平均勤続年数は長い。雇用のあり方は日本企業的だが、ビジネスのやり方は日本離れしている。
 数年前、ネスレ日本はイオンと大げんかした。イオンがプライベートブランド(PB=自主企画)でネスレのチョコレート菓子「キットカット」に似た商品を発売し、大量に陳列した。しかもその横に本物のキットカットをわずかな量だけ並べていたのだ。
 ネスレ側はこの「仕打ち」に激怒。イオンは売上高の約10%を占める最大の販売先だったが、一切の販促費を止めた。イオンにおけるキットカットの販売は減少。ネスレ日本の売り上げも落ち込んだが、平然とこう言い放った。「キットカットは中身をPBと入れ替えたとしても必ず売れる」。その価値がわかっていないことへの抗議だった。
 「本物のブランドは味と品質に優れるだけでなく、消費者の感情に入り込んでいる」とネスレ日本の高岡浩三社長は話す。グローバル成長には世界共通のメガブランド商品が不可欠。それを育てるには時に販売減のリスクを冒してでも、ブランド価値を守るこだわりが必要というわけだ。
 日本企業の商品が味や品質で劣っているわけではない。だが毎年大量に商品を出し、短期間で店頭から消えていく。生産と販売はあってもいまだに商品を消費者に根付かせるマーケティング力が弱い。世界どころか、国内でもブランドは育ちにくいのが実情だ。
 ちなみにイオンとはその後、関係を修復した。イオンもこうした経験をへて「メーカーブランドの類似品だけではPBは成長しない」ことを理解した。PBの開発力が向上するきっかけになったという。
 ネスレ日本がブランドとともにこだわるのは利益率だ。同社では営業利益率が10%に達しない事業は撤退の対象となる。
 洋風だしの「マギーブイヨン」は黒字だが、利益率の目標は未達。洋風だしとしてはブランド力のあるマギーをやめるのは消費者への不利益になる。そこでネスレ日本では今春から販売活動をすべて食品卸に移管することを検討している。営業費用を抑えて事業コストの圧縮につなげる考えで、やはり原則を貫く。
 ネスレの場合、自国市場の狭さが海外進出を促した。成長力は失っても日本は大きな市場。居心地の良いホームグラウンドを離れ、いかにアウェーでブランドを根付かせ、利益を上げるか。グローバル経営に挑む日本企業の課題だ。