2013年1月31日木曜日

オーケーライフ社長浅見公香氏―「感じる音楽」起業し実現



 誰もが曲を奏で、耳を傾け、感激を伝え、共に楽しむ――オーケーライフ(東京・渋谷)が運営する音楽共有サイト「OK Music(オーケーミュージック)」は社長の浅見公香(48)が海外で触れた「体験する音楽」が原点だ。プログラマーとして米コダックやソニーで活躍した浅見が20年かかってたどりついた。世界一優秀と信じる日本の技術者と世界に通じるサービスに育てる。
 浅見が上智大学工学部の門をたたいたのは1983年。「理系の方が稼げるのでは、と深く考えずに」選んだ道だった。お金をためては海外に出た大学時代だったが、そのとき得た音楽体験が忘れられない。フィジーの海辺やケニアの街角では歌や踊りを披露しあう人や、拍手を送る人が集まり「誰もがアーティストでクリエーターだった」(浅見)。人間が紡いできた本来の音楽に触れた。
 一方、インターンで訪問した日本IBMでインターネットと出会う。大学での「ハンダごてで基板を作るハードウエアの研究よりおもしろい」と感じ、ソフトウエアやインターネットを職業にしたいと考えるようになる。だが当時コアの技術は米国内から出てこない。米国企業の募集を探していたところイーストマン・コダックが目に留まり、思い切って飛び込んだ。
 87年に入社したコダックは軍向けに蓄積したデジタル画像処理技術の民生転用を進めていた。デジタルカメラのセンサー開発を手掛けた浅見は、コダックが製造して米アップルが94年に発売したデジカメ「クイック・テイク」の開発チームにも加わった。
 仕事は順調だったが、結婚し娘が生まれると「普通の日本の女の子として育てたい」気持ちが強くなってきた。ちょうどパソコン「バイオ」のソフトウエア開発者を探していたソニーから声がかかり、97年にソニーに移った。
 「銀パソ」と呼ばれて人気を呼んだノートパソコンの開発を手掛けたが、「ナンバー1をとり、やることがなくなったと感じていた」(浅見)。2000年、ネットサービスの社内コンテストに応募し、グランプリを獲得。サービス提供直前まで約3年間開発に取り組んだまさにその時、ソニーは事業の売却を決めた。「会社のお金でやっていると嫌だと言えないことに気づいた」(浅見)。このとき初めて起業の意味を考えたという。
 社内の経営者育成コースにも通ったが、役員になりたくて仕事をしているわけではないと思い直す。06年にソニーを退社した後、あるパーティーで質問・回答サイトを運営するオウケイウェイヴ創業者の兼元謙任(46)と出会う。「会社は世の中をよくするためにある」というスピーチを聞いて感激した浅見は「一緒にやりたい」と事業計画を持ちかけ、出資を受けた。
 約3年の開発期間を経て11年9月に開設したオーケーミュージックは、ソニーで手掛けた楽曲配信ビジネスで感じた疑問もきっかけだ。現在の楽曲配信は「100円入れると1曲出てくる自動販売機」(浅見)。音楽はもっと感情的で芸術的。あらゆる人とつながるネットを使えばもっと生き生きとしたサービスが可能だと考えた。
 自演の楽曲を公開し、寄せられた感想を通じて交流を楽しむという新しいタイプのサービスは人気を集め、利用者数は月間12万人を超えている。
 既に米国向けにもスタートしており、今後世界各地に事業を広げていく。だが浅見は日本での開発にこだわる。世界最先端のIT開発現場を見てきた上で「日本のプログラマーが世界一優秀」だと確信しているからだ。「鉄鋼でも車でも日本の技術が世界で勝てなかったものはない」(浅見)。一緒に働く日本のプログラマーなら世界一のサービスを生み出せると信じて走り続ける。

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