2013年1月31日木曜日

中国人社長、旧三洋を鼓舞


 三洋電機が冷蔵庫・洗濯機事業を中国家電大手の海爾集団(ハイアール)に売却して1年余り。事業を継承したハイアールアジアインターナショナル社長の杜鏡国(49)は今年の元旦、こんな社員向けのメッセージをしたためた。「皆が一緒に過ごした初めての新年です。心の中で多くの感銘と感動が湧いています」
 旧三洋の「AQUA(アクア)」、ハイアールともにシェアが上昇し、2012年の売上高は483億円と目標をほぼ達成した。何より不安と悲哀に沈んでいた職場に活気が戻ってきた。「お金で企業や事業を買うのは簡単。大切なのは文化の融合だ」。この1年、心を砕いだことが想像以上に進み、結果に結びついた実感がある。
ハイアール副総裁を兼務
 杜は白物家電で世界シェア首位になったハイアール本社の副総裁を兼ねる。31歳でグループ販売責任者に抜てきされたエリートだ。02年に日本法人社長、07年には旧三洋との冷蔵庫開発合弁会社の社長も務めた。日本人妻を持ち、不自由なく日本語をあやつる。だが、ハイアールにとって、買収で進出先を開拓するのは初の経験。杜は事業を譲り受ける前から三洋社員の懐に飛び込んだ。
 「みなさんのいいところを伸ばしたい。ハイアール本社というより、みなさんのために私は頑張ります」。ハイアールアジア副社長の土屋秀昭(54)は、まだ三洋社員だった自分たちに、杜が日本語で語った言葉を鮮明に覚えている。11年10月、身売り確定の直後のことだ。アクアを販売するハイアールアクアセールス(大阪市)の商品統括部長、森田昌治(50)も「日本人を理解し、旧三洋が持っているものを生かそうとする意志を強く感じた」という。
 会社発足直後の昨年1月下旬には、アクアの新製品33機種が全国の量販店に並んだ。杜は前の年から移籍予定の三洋幹部と入念に準備した。あまりのスピードに戸惑う幹部たちに、「チャンスを逃すとやる気は落ちるし、シェアも挽回できない」と何度も奮起を促した。
 ハイアールアクア社長、中川喜之(50)は「日増しに不安が薄れ、杜さんと早く一緒に働きたいと思うようになった」と当時を振り返る。一方の杜は、建設中で暖房のない洗濯機開発拠点を視察したとき、コートを着込んだ技術者らが必死に働いている姿に感動した。「ハイアールは真の世界1位を目指している。日本でも首位になりましょう」。自然にこう語りかけていた。一体感は早い段階で芽生えていたのだ。
 日中のつなぎ役としての杜の原点は、開発合弁の社長時代にさかのぼる。ハイアールが6割を出資し、三洋からの出向組の警戒心は強かった。心を開いてもらうため、外資と仕事をして抱くであろう不安についてメモを作成。それを社員に見せ、解決策を一緒に考えた。
 もちろん杜が向き合うのは日本だけではない。中国の本社とも時に相対する。日本人から信任を得るためにも欠かせない。
 「きっと社員たちも安心します」。杜はハイアール最高経営責任者(CEO)の張瑞敏(64)にハイアールアジアの「名誉会長」への就任を要請した。「あなたがしっかり関与していると示せば、やる気も出るはずです」。熱意を感じた張は、初めてグループ会社の役職に就くことを快諾した。
「アクア」異例のCM採用
 杜の「前例破り」はこれだけではない。実はアクアの継承も異例だった。ハイアールはブランドの併存を認めてこなかった。スキャンダルでブランド価値が下がるリスクを排除するため、有名人を使うCMも禁じていた。それでも、アクアのPRに女優の小泉今日子を起用した。いずれも旧三洋社員の希望だった。杜は本社にいる白物家電の責任者が決断できないと見るや、張に直訴した。「どう説得したのか」。2週間ほどでCMの了解が出たときはみんな驚いたが、杜は平然としていたという。
 結果を出しながら、やるべきことを組織に伝えていくのが杜のスタイル。「ハイアールは変化と挑戦を評価する。でも言葉だけでは伝わらない。実例が必要なんです」。杜の率先垂範ぶりをみて、組織はますます活気づいた。例えば昨年11月に発売した大型冷蔵庫。扉にガラス素材を採用したデザインもさることながら、異例だったのは製品化決定からわずか4カ月で量産し、半年で店頭に並べるスピードだ。中川は「みんな新しいことに挑戦するようになり、意思決定が速くなった」と職場の変化を実感する。
 パナソニック傘下のときは製品開発が滞り、「負け組」とされた旧三洋の社員たち。考え方も表情も1年で見違えるほど変わった。国境と資本の論理を超えた相互理解が強さを生む。「成功したとはまだ言えない。やるべきことはまだまだありますよ」。中国人リーダーは戦う集団づくりにさらに磨きをかける

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