2011年7月19日火曜日

NEC社長遠藤信博氏(上)破綻味わい、視野広がる

  NECの遠藤信博社長(57)は東工大で電磁波の研究に没頭。大学に残るかどうか悩んだ末、衛星通信に力を入れていたNECに入社する。
 研究所に行けるとばかり思っていたら、衛星通信のアンテナ開発を担当する事業部に配属されました。最初の関門が電話。大学の研究室は秘書が取り次いでくれるけど、会社だと新入社員が最初に出なければならない。見ず知らずの人といきなり話すことが本当に嫌で、毎日大学に戻ることばかり考えてました。
  前向きな性格が幸いし、職場に慣れていく。
 次第に「仕事は結構面白い」と感じるようになりました。目の前にある課題を何とかせねば、と考えるタイプです。発注書の書き方、製品仕様の策定など「こうやったらもっと効率的なのに」と興味がわいてきました。「一つ一つ目の前の課題を解決するために最大限、努力することが大切だ」という思いは、社長になった今も変わりません。
  国内で通信衛星を活用した可搬式電話端末の開発などを経験する。担当部長だった1997年、英現地法人に出向。世界中で使える衛星携帯電話サービスのプロジェクトに加わる。
 インマルサットと、47の通信会社が出資した英ICOグローバルコミュニケーションズのプロジェクトです。高度約1万キロメートルの軌道上に飛ばした12個の衛星を利用し、世界中で使える手のひら大の衛星携帯電話を実現する国際プロジェクトでした。NECは地上システムと端末を受注し、私は端末のプロジェクトリーダーを務めました。
  通信技術の進歩は遠藤氏の予想を超えていた。
 デジタル携帯電話の欧州統一規格「GSM」が世界中に広がります。チップセットが進化し端末が小型化したことも追い風でした。アジアなど欧州以外でも通信会社同士が組んで国際ローミング(相互乗り入れ)サービスが普及し、普通の携帯電話で全世界をカバーできるようになりました。
  その余波で、ICOは99年8月に米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請して経営破綻する。
 順調に事業資金が集まっていたのに、通信会社が急に「投資価値なし」と判断したようです。入社して初めて経験する大きな挫折で、本当にショックでした。当時はつぶれた理由がよく分かりませんでしたが、環境変化を読み切れなかったということでしょう。最終的に普通の携帯電話を使って世界中で通話できるようになると予想はしていましたが、ここまで一気に行くとは思わなかった。
 衛星携帯電話サービスは「世界中を旅するビジネスマン」が使うことを想定しましたが、「同じ端末を世界で使える」利便性が勝ったわけです。顧客層も絞り過ぎた。ビジネスは貢献度が大きいほどお客様に受け入れられやすい。これを機に「この事業は世の中に大いに役立つか」「独りよがりになっていないか」と自問する癖がつきました。
 えんどう・のぶひろ 81年(昭56年)東工大大学院理工学研究科博士課程修了(工学博士)、NEC入社。無線通信機器の開発に長く携わる。03年モバイルワイヤレス事業部長、06年執行役員、09年取締役執行役員常務。10年から現職。神奈川県出身。57歳。

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