2015年4月17日金曜日

メドピア石見陽社長――医療改善、ファイザー口説く、医師専用共有サイト黒字化

 患者の治療法や医薬品などを医師同士で議論したり、共有したりするサイトを運営するメドピアは2014年6月に東証マザーズに上場した。現役の医師でもある石見陽社長(41)は起業家との二足のわらじを履く異色の経歴の持ち主。ただ、事業は赤字が長く続き苦しんだ。転機となったのは、狙い澄ましたともいえる世界一の製薬会社、米ファイザーとの提携だった。
 「高血圧の患者さんに処方すると動悸(どうき)を訴えられることがあります」。メドピアが運営する医師専用の共有サイトには、こうした処方した薬の評価などが医師から書き込まれる。現在、日本の医師の4人に1人にあたる7万人超が登録する。医師はコミュニケーションで発生した「集合知」を治療に生かせるようになる。
 今でこそ多くの医師が利用するが、当初は収益化に苦しんだ。赤字が続くなか10年に立ち上げた医薬品の評価などを共有するサイトの活用を検討する。医師が集まる場として製薬会社に広告を出してもらうビジネスだ。
 しかし、製薬会社側には悪評を書かれたりすることに対する抵抗感が強かった。そこで目を付けたのが、製薬会社で世界最大手のファイザー。利益を熱心に説得した。外資は挑戦心が強いとの見込みも功を奏し、11年9月に提携にこぎ着けた。「最大手が落とせれば他社もいける」。読み通り製薬各社は続々と契約に踏み切り、現在は30社超にのぼる。
 医師専用の共有サイトの創設から約5年かけ12年9月期に初めて黒字を達成した。15年9月期の営業利益は前年同期比13%増の3億円となる見込みで、4期連続の黒字も視野に入れる。
 上場も果たしたが、その道のりは偶然に左右されたことも多かった。そもそも石見社長は起業に関心はなかった。1999年の信州大医学部卒業後、東京女子医大の循環器内科に入局し、臨床研究の道を極める考えだった。だが同大でカルテ改ざん事件が発生して患者が来なくなり、研究の方向性を変える。
 起業のきっかけは、知人に誘われて訪れた異業種交流会の参加者のこんな発言だ。「医師のビジネスはなかなかないよね」。新しいアイデアを練るなか、起業を強く意識するようになった。そして04年に当時はなかった医師の人材紹介サービスをスタートした。
 それなりに手応えを感じるなか、現在のビジネスの源流に出会う。あるとき、交流サイト(SNS)のミクシィで医師のコミュニティーに患者が多く質問し、医師同士の議論が深められなくなってしまったのだ。そこで、「医師だけのコミュニティーを立ち上げよう」と決心した。
 立ち上げに向けて準備するなか、医師の副業では事業の成功は難しいと痛感し、覚悟を決めた。医師の仕事は週1日とし、それ以外はビジネスに取り組むことにしたのだ。そこから「サービスを通じて医療に貢献していきたい」との思いは変わっていない。
 「実際の医療にもっと使われるようにしていく」。石見社長はそう語る。すべての医師が集まる場にすることで、患者がよりよい医療が受けられる可能性を高められる。医療は旧来の慣例や規制が多く、ネットの活用なども遅れているのが現状だ。そんな日本の医療を「手当て」する大きな夢に挑む。(名古屋和希)
トップは語る
従業員と理念を共有
 経営者としては人の運営に苦労してきました。事業の黒字化が見えてきた2011年には従業員が大量退職してしまう事態も経験しました。医師のサイドビジネスとして始めるなか、人材運営では理念を共有することの大事さを改めてかみしめています。
 医師同士の共有サイトを立ち上げた2007年から採用を積極化しました。一方、採用ありきとなり、「医師を支援し、患者を救うこと」という自社の使命を従業員全体で共有することが不明確になっていました。
 その結果、ポロポロと退職が出て20人いた従業員は7人に減ってしまいました。そのときは「光が見えてきているのになぜ」と理由がわかりませんでしたが、面談で一人ひとりの意思を確認するなかで「この使命の達成に本気であること」が大事だと気付いたのです。
 特に理念や使命は自分は理解していても、従業員にまで腹落ちしてもらうには根気強く伝える必要があります。今でもその努力は続けています。まさに経営者としての腹を決めるきっかけになった出来事でした。
《石見社長の歩み》
1999年 信州大学卒業
2004年 メディカル・オブリージュ(現メドピア)を設立
2007年 医師専用の交流サービスを展開
2011年 ファイザーと提携
2012年 黒字化
2014年 東証マザーズ上場

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