2015年4月17日金曜日

塩野義製薬社長手代木功氏――危機に攻めて荒療治、特許切れ前、買収に活路

 ドル箱の高脂血症薬「クレストール」の特許切れが2016年から始まる塩野義製薬。一部アナリストの間には経営危機を予想する向きもあったが大型M&A(合併・買収)や契約変更など矢継ぎ早に新たなカードを繰り出し、特許切れの「クリフ(崖)」を緩やかな「ヒル(丘)」に変えた。仕掛け人は社長の手代木功(55)だ。
 2008年9月。世界をあっと驚かすニュースが流れた。塩野義製薬が米中堅製薬のサイエル・ファーマ(現シオノギ・インク)を1500億円で買収するという発表をしたからだ。当時の塩野義の売上高は2000億円程度。決断したのは社長に就任してまだ半年の手代木だった。
 創業家一族から社長が出ることが多かった塩野義だが、手代木は非同族。しかも年齢は当時48歳だ。「何ができる」。そんな前評判だったが、あっさりと裏切ってみせた。
 巨費を投じた大型買収は、ほぼ無借金だった塩野義の経営を180度転換させた。社内やOBからも批判はあったが手代木の主張は明確だった。「海外にこそ活路がある。これで米国へのアーム(腕)を得た」
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 長年、塩野義は海外販売網の構築に手間取り、それが泣きどころでもあった。高脂血症薬「クレストール」も良薬だが海外に販売ルートを持たないために英アストラゼネカ社など他社に供与してきた。このため実入りはロイヤルティー収入にとどまり、これが成長の足かせとなっていた。
 手代木は特許クリフという危機を逆手にとってこれまでの弱点を克服するための攻めの転換点とした。会長の塩野元三(68)も手代木の経営判断を支持。「やり過ぎ」「勇み足」といった社内外からの批判の封じに回った。
 サイエル社は最初は営業赤字が続いたが、塩野義が自社で開発した婦人科領域の治療薬「オスフィーナ」を米国市場に流し込む役割を見事に果たした。手代木の狙いは的中した。
 1000億円単位の大型M&Aと並んで手代木が力量を見せつけたのはエイズウイルス(HIV)薬を一緒に開発していた英ViiVヘルスケア社との契約の見直しだ。共同開発だった契約を見直しViiVに商業化権を全面的に移管、対価として10%の株式を取得する形に切り替えた。名を捨て実をとった。
 もう一つ手代木流のしたたかさが際だったのが英アストラゼネカとの間の契約変更だ。塩野義が受け取るロイヤルティーの料率を思い切って引き下げる代わりに、ロイヤルティーを受け取る期間を当初の16年から23年にまで引き延ばした。
 手代木は1982年に入社、国内で医薬品開発に携わった後、2度の米国勤務を経験した。英語でのギリギリの交渉術を磨き、帰国後は経営企画部長も兼任し第1次中期経営計画の策定を主導した。
 子会社や植物薬品などを切り離し、さらに600人規模の希望退職も実施した。代わりに医療用医薬品に経営資源を集約、創薬型の企業として生き残る道筋をつけてきた。
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 矢継ぎ早に新たな手を繰り出す手代木。背景にあるのは危機感だ。そのために前例も簡単に覆す。
 昨年3月の中期経営計画の作り直しはその典型例だ。これまで中計と言えば5年が決まりだったが毎年、3年分の計画を公表する「ローリング方式」に切り替えた。当時、走っていた中計は最終年度までまだ1年残していたが、途中で打ち切り新計画に変えた。
 こうした手代木のスピード感を今のところ市場も好感している。昨年3月時点で2000円前後だった株価はすでに倍近い4000円台まで上昇している。
 ただ、手代木もいずれ退場する。その時に備え、早くも次代のリーダー育成にも着手している。毎年40代半ばから50代前半の幹部候補7人前後を選び1年かけて教育する『社長塾』のほか執行役員による『経営塾』も立ち上げた。10年で70人の幹部候補生を育てるという

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